唐津焼。
東京第八東青年部の第1回行事(オンライン)「唐津焼を知って唐津焼を楽しもう」に参加しました。
●昔から「一井戸、二楽、三唐津」「一楽、二萩、三唐津」と言われ、抹茶茶碗として茶人に好まれていた。
●1580年代に唐津焼の生産が始まり、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で急成長する。
●急成長した背景としては、①朝鮮出兵により朝鮮陶工が多く渡来したこと、②海外輸送ルートの拡大、③茶の湯の流行、が挙げられる。
●朝鮮出兵の拠点として、唐津市に名護屋城が築かれ、多くの武将が集結。武将たちが茶の湯のバイヤーとなり、そこに陶工(アーティスト)とプロデューサー(古田織部たち)が集結したことで、唐津焼の需要が高まる。古田織部は唐津焼を好み、多くの作品を制作させたと言われている。
●しかし、1615年に古田織部が自害。1616年に有田焼の生産が始まる。小堀遠州らがきれいさびを推進したことで色絵付が盛んになり、地味な唐津焼は衰退の一途をたどる。
●唐津市は唐津くんちが有名なほか、「旧大島邸」や「茶苑 海月」に立派な茶室があり、安価に借りることができる。